大宝寺 | ( たいほうじ ) |
所在地 | 愛媛県松山市南江戸5-10-1 |
由緒等 |
寺伝によれば、飛鳥時代の大宝元年(701年)に地元の豪族小千(越智)伊予守玉興が創建したと伝えられている。 寺号は創建されたとされる年号に由来する。 江戸時代には歴代松山藩主の祈願所となった。松平氏4代藩主松平定直によって貞享2年(1685年)本堂の修理が行われた。 |
御本尊 | 阿弥陀如来坐像 (国の重要文化財) |
宗 派 | 真言宗豊山派 |
うば桜伝説 | その昔、この地に角木長者と呼ばれる豪族がいた。彼は子宝に恵まれなかった。 薬師如来に祈りを捧げたところ娘が生まれた。娘の名を「露」と名付けた。 露には「お袖」という名の乳母を雇い大切に育てた。お袖の乳の出が悪くなり、 再び薬師如来に祈ると乳が出るようになった。そこで、お礼にお堂を建立した。 これが大宝寺の始まりという。 露は15歳になった時に重病にかかった。お袖は自分の命と引き替えに露を助けて欲しいと薬師如来に祈った。すると露の病気は平癒した。その祝いの席でお袖は病に倒れた。 お薬師様との約束と言って、お袖は薬も飲まず治療を拒み、とうとう亡くなった。亡くなる直前に「お薬師様へのお礼に桜の木を植えて下さい。」と言い残した。長者は約束どおりお堂の前に桜の木を植えた。その桜は枝が伸びないうちから幹に2〜3輪の花が咲いた。その花はお袖の乳房のような形で、母乳のような色であったという。 この話は明治時代、小泉八雲によって英語に訳された。 |
参拝日 | 2019年11月10日 |
本 堂 (国宝)(鎌倉時代前期と推定) |
乳母桜像 |