射箭頭八幡神社 | ( いやとはちまんじんじゃ ) |
鎮座地 | 和歌山県和歌山市本脇字糸切260 |
由 緒 |
伝によれば、日本武命が西国に下向する折に飽浦を訪れたのに因んで命を鎮祭したのが創まりで、後に三韓征伐を終えて凱旋した神功皇后が加太浦に寄航して鏑矢を射たところ、現社地より360メートルほど北西の三ッ池峠の上、下地ヶ尾という所に落ち止まり、その地を尋ねた皇后が品陀皇子(後の応神天皇)を鎮座させ、その時に百官が弓弦で餅を切って献上したという。 また、皇后が田倉崎に差し掛かった時に暴風に遭遇、当神社に祈願して難を逃れたともいう。 そして天児屋根命の22世の孫である天寿麿という者が下地ヶ尾に社を創建、応神天皇を主神に日本武命と皇后とを相殿に祀って「射箭頭八幡三所大神」と号し、飽浦の神廟として崇めたのが創祀であるという。 |
主祭神 | 応神天皇 日本武命 息長足姫命 |
参拝日 | 2024年10月21日 |
手水舎 |
拝 殿 |
住吉・事代主神社、大国主神社、稲荷神社 |