飛鳥寺 | ( あすかでら ) |
所在地 | 奈良県高市郡明日香村飛鳥682 |
札所等 |
新西国三十三箇所第9番 聖徳太子霊跡第11番 |
由 緒 |
『日本書紀』によると、法興寺(飛鳥寺)は用明天皇2年(587年)に蘇我馬子 が建立を発願したものである。 馬子は排仏派の物部守屋と対立していた。 馬子は守屋との戦いに際して勝利を祈念し、「諸天と大神王の奉為(おほみため) に寺塔(てら)を起立(た)てて、三宝を流通(つた)へむ」と誓願し、飛鳥の地に寺を建てることにしたという。 一方、天平19年(747年)成立の『元興寺縁起』には発願の年は「丁未年」 (587年)とし、発願の年自体は『書紀』と同じながら内容の異なる記載がある。 『元興寺縁起』によると丁未年、三尼(善信尼、禅蔵尼、恵善尼)は百済に 渡航して受戒せんと欲していたが、「百済の客」が言うには、この国(当時の日本) には尼寺のみがあって法師寺(僧寺)と僧がなかったので、法師寺を作り百済僧 を招いて受戒させるべきであるという。 そこで用明天皇が後の推古天皇と聖徳太子に命じて寺を建てるべき土地を 検討させたという。 |
創建年 | 6世紀末頃 |
宗旨宗派 | 真言宗豊山派 |
御本尊 | 釈迦如来(飛鳥大仏、重要文化財) |
開 基 | 蘇我馬子 |
参拝日 | 2022年3月8日 |
国指定史跡 飛鳥寺跡 山門と飛鳥大仏標石 寛政4年(1792年)に建てられた「飛鳥大仏」の石碑。 法興寺が創建された際の礎石が台石として使用されている。 |
本堂 (文政9年(1826年)再建) |
銅造釈迦如来坐像 (日本最古、国重要文化財) |
阿弥陀如来坐像 |
聖徳太子像 |
庭 園 |
手前に金堂の礎石 |
鐘 楼 |
思惟殿 (新西国三十三箇所第9番札所) |
西門跡 |
蘇我入鹿の首塚 |