竹神社 | ( たけじんじゃ ) |
所在地 | 三重県多気郡明和町斎宮2757−2 |
由 緒 |
垂仁天皇の御代、竹連・竹氏という豪族、連は姓の祖、宇迦之日子の子、吉日子が天照大神の奉行に供奉して、この地に留まり、孝徳天皇の御代に至って、竹郡創建の際に、その末裔が当社を創祀した。 竹吉日子については、「皇太神宮儀式帳」に、竹の首吉比古の名がみえ、神社は櫛田川の古流祓川の東岸台地である竹川字中垣内(ふるさと地区)に祀られていた式内社である。 斎王制度が固まっていくとともに、地名も「竹の都」から「斎宮」に変わっていった。 「斎宮」には「斎王」がおられ、天皇に代わって、伊勢の神宮に仕えた。 その役所である屯倉斎宮寮には往時500余人を数える官人がおり、内院、中院、外院と17の社が祀られていた。 斎王はこれらの社を参拝せられた。 天武天皇のとき、大伯皇女が斎王に麻績氏が頭に任ぜられた。 この麻績氏の祖が、長白羽命で当社の主祭神として祀られている。 |
主祭神 | 長白羽神(ながしらはのかみ) |
参拝日 | 2021年2月22日 |
手水舎 |
手水鉢には |
拝 殿 |
本 殿 |
戦没者英霊殿 |