鹿児島神宮  ( かごしまじんぐう )
所在地 鹿児島県霧島市隼人町内2496
由 緒 大隅国一宮
社伝によると「神武天皇の時に天津日高彦穗穗出見尊の宮殿であった高千穂宮を神社としたもの」とされる。
欽明天皇の代に八幡神が垂迹したのもこの場所とされる。
当社を正八幡と呼ぶのは『八幡愚童訓』に、「震旦国(インドから見た中国)の大王の娘の大比留女は七歳の時に朝日の光が胸を突き、懐妊して王子を生んだ。
王臣達はこれを怪しんで空船に乗せて、船のついた所を所領としたまうようにと大海に浮かべた。
船はやがて日本国鎮西大隅の磯に着き、その太子を八幡と名付けたと言う。
継体天皇の代のことであると言う。」との記載がある。
八幡神は大隅国に現れ、次に宇佐に遷り、ついに石清水に跡を垂れたと『今昔物語集』にも記載されている。
創建年 伝 : 初代神武天皇朝
主祭神 神天津日高彦火火出見尊(あまつひだかひこほほでみのみこと、山幸彦)
豊玉比売命(とよたまひめのみこと) - 天津日高彦火火出見尊の后神
相殿神 帯中比子尊(なかたらしひこのみこと、第14代仲哀天皇)
息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后) - 仲哀天皇皇后
品陀和気尊(ほむだわけのみこと、第15代応神天皇・八幡大神)
中比売命(なかつひめのみこと、仲姫命) - 応神天皇皇后
(相殿神4柱は八幡神を合祀した関係による)
参拝日 2018年11月17日


一の鳥居

神橋と両脇に御門神社
勅使殿 (県有形文化財)
(勅使殿・拝殿・本殿は宝暦6年(1756年)島津重豪が再建)

拝 殿 (県有形文化財)
本 殿 (国有形文化財)
武内神社
四所神社
隼風神社
雨之社

 

 BACKT O PMENUNEXT